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経済の研究No.20
特定金銭信託・営業特金とは

 特定金銭信託(通称、特金)は「運用方法や運用先を委託者が特定できる金銭信託」(大辞林)である投資方法です。これに対してファンド=トラスト(通称、ファントラ)というのがあり、これは運用を信託会社に一任する投資方法です。ファントラについては別の機会に譲ります。

 さて、特金の中でも株式・債券投資に運用を限定したものが営業特金です。多くは信託銀行が信託を受けた「有価証券を証券会社の社員に一任して運用する特定金銭信託」です。もちろん企業が直接証券会社に信託する場合(正確には系列の投資信託会社を通して受ける)もあります。信託銀行は信託財産の運用を任されますが、彼らは顧客の損得に関わらず所定利率の信託手数料を受け取ることになっています。証券会社は信託財産を丸投げされますが、自己の手数料も稼ぎつつ一定の運用益を上げなくてはいけません。そのあせりが大きな運用失敗を生み、利益どころか大きな損を生んでいたのです。
 一頃問題化した損失補填は、主に営業特金における運用損を埋め合わせるために行われた手続です。バブル時代まで財テクに励む企業の余剰資金の良い受け皿であり、当時の天井知らずの株高のお陰で特金黒字は大きかったと言えます。このため特定企業の特金を損失補填したとしても、安定した資金がプールされ、結果として証券会社は儲かっていたのです。証券会社にとっての特金のうま味は「運用を証券会社の社員に一任されている」ことに尽きます。
 まず、証券会社の得る手数料が運用益の所定割合ではなく、株式売買手数料から上がることに理由があります。極端な話、毎日売買を繰り返せば莫大な手数料を稼ぎ出すことができました(もちろん運用益を出さねばなりませんが、大部分を合法的に掠めることができたのです)。このため本来は10%の運用益が出るような銘柄を扱っても、3%を顧客の取り分に、残りを自分の取り分にすることが可能であったのです。次に、別顧客から大口株式の填め込み先を望まれた場合、市場で一度に売却するのでは相場を乱して利益を失いますので、特定の特金に填め込むことにより、顧客の希望を満たすことが可能でありました。バブル時代なら特金の顧客も値上がり益を得られたので問題は無かったのです。そして、社員に効率的にノルマを容易に課すことができたのでした。不安定な小口投資家の取扱手数料よりも安定収入になったのです。

 しかし、バブル崩壊後は営業特金がお荷物になりました。何をどう投資しても利益が出ず、損失が出たのです。しかも信託財産の元本割れは証券会社の面子に掛けても許されません。損失補填は認められないため、利益の付け替え操作だけでは補い得ない、という事態を招いたのです。現実問題としては先物や空売りを絡ませれば利益は出せたはずですし、リスクヘッジも行えたはずです。しかし、いつか相場は反発すると信じた結果損失額は膨らみ、またノルマとして課した取扱手数料を稼ぐために社員が無謀な売り買いを繰り返し、一層顧客資産の減少を加速させたのでした。
 山一證券が倒れたのは、営業特金の清算に見切りを付けられなかったことにあります。「法人の山一」と呼ばれ、法人の財テクを大規模に引き受けていた山一證券にとっては、営業特金からの撤退は思いも寄らぬことでした。その結果、年々損失額は膨らみ、権利行使期限が切れて紙切れになったワラント債を海外子会社に移管するハメになってのです。特金で発生した1,600億円の損失が社内問題化した1994年当時、山一の経常利益は2,000億を超える史上空前の利益でした。この経常利益が特金の損失を拡大させた取扱手数料の結果であることは言うまでもなく、本来ならこの利益で相殺しておくべきだったにも関わらず、特金の損失を隠し続けてしまいました。これは行平会長が世間様に偉そうな顔をしたかったことと、法人の山一が特金の失敗など公表できるわけがないと信じたことに全ての原因があります。多額の法人税を納め、株主には多額の株式配当を支払いましたが、いずれも顧客、社員、株主の誰にも利益を与えなかったことは語るまでもありません。

98.05.12
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